5日目の朝
今日も空は曇っています。
気温も寒い。
ガンジスに飛び込む勇気が出ない...
ええか。
このまま日本に帰るか。
無理しても仕方ないし、
自分が背伸びして病気になったら、
万が一命を失う事があったら...
でも、俺はこのためにインドにきたんや!
ここで帰ったら絶対後悔するやろな...
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「おい!フクボートに乗ろう!」
「ジャパニ金くれ!」
毎朝の恒例の合唱が始まっています。
この日私はブルーでした。
そして、
インドに来てはじめて日本に帰ってからの事を
考えていたんです。
仕事辞めてインドにやって来て。
いろんなモンを捨てて、
憧れ続けたインドにやって来た後、
そのあと...
日本に帰って俺は一体何をする?
ものすごい不安でした。
自分が人生のレ-ルをはずれた事がなかったから...
小さいときから
「いくちゃんみたいになりなさい!」
って近所のおばちゃんが自分の子を叱るくらい
私は優等生でした。
地方の国立大学を適当に卒業して、
某自動車メーカーに就職し、
たった数年で外資系のコンピュータ会社に転職したあの時、
バブルの恩恵をこうむった20歳台。
怖いものなんて何もなかった。
ただただ自分の未来を信じて生きてた。
そして週末のたびに、ねるとんパーティーで
女の子達と遊んでたんです。
公認会計士になるつもりで特訓した年もあった。
オウム真理教が世間をにぎわせたあの時期。
私は毎日簿記や商法の勉強をしていました。
結果は生まれて初めての敗北でしたが、
再度転職した電機メーカーで、
運良く出世して会社では課長殿。
いずれは取締役候補とまで言われ、
派閥争いの中で奮闘していた私。
派閥争いで負けて飛び出し、
前社長と興した商社で台湾からDVDを輸入し
楽天市場で荒稼ぎ。
同時に家庭を持って自治会の副会長まで努め、
市議会選挙に出ろと言われるくらいまで
地域に貢献していたのは30歳台。
ぜーんぶ。
ほかしてもた。
自分はバナラシのホテルにいました。
転職するときは先に就職先を決めてから退職する。
そんな安全な人生を歩んでいた私が、
後先考えず今インドにいる。
「日本に帰ったら熊本に来い!」
お前一人くらいどんな事をしても食べていける
と言ってくれた親友がいました。
「いくちゃん会社でもやりぃな」
私の事を小さい時から知っている
義理の兄がそう言ってくれてる。
「塾の先生でもやろうか」
私は大学の時からほとんど途切れず、
20年間家庭教師をやっていました。
小遣いも欲しかったのですが、
それよりも私はヒトにモノを教えるのが大好きなんです。
いろんな事をベッドの上で考えていました。
インドでは日常から離れた生活を送れるんですが、
いざ夢から覚めて自分の状況を冷静に考えると、
不安で胸が押しつぶされそうだったんです。
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